東大震災から3年目、あの日は忘れることはできません。

世界イベントのソチオリンピックも終わり、パラリンピックが開催されております。
世界の平和が叫ばれているこの世の中で、各国の紛争問題も多く聞くようになり、時代の移り代わりの早さに驚いている毎日であります。そんな中、今日で3年目を迎える出来事があります。どんなに嬉しいこと、楽しいことが合っても、必ず思い出してしまう“東日本大震災”!あれから3年がたつのですね。本来なら、“早いですね”と言いそうになるのですが、どうしても“悲しみ・恐怖・悔しさ・絶望”の思いが走馬灯のように出てくる長い3年間だったような気がします。先日も娘の高校卒業式に行ってまいりました。式典においては、和やかで楽しさもあり笑顔の卒業式となると思っておりましたが、あるご父兄の挨拶の中で震災の出来事のお話をした際に、ご来賓の皆様が涙を浮かべる場面がございました。私も、こんな晴れ舞台の中、震災の出来事を思い出したくなかったのですが、当時の出来事が脳裏をかすめ、気がつくと涙ぐんでいる自分に気がついておりました。それだけ忘れようとしても忘れられない、そしていつまでも心の中に残っていく出来事だと改めて思いました。挨拶での内容は、この高校が指定避難所でもないのに、迅速受け入れて、保健室も開放し負傷者の治療にもあたってくれたとのことでした。当たり前のことと思いますが、実際、避難受け入れ設備が無いとのことから、断る施設もあったことは事実でしたし、かといってそのことについて攻めることもできない状況だったとも思います。実際、私も公共の体育館に避難をいたしましたが、入れてもらえず、駐車場にて2日間すごした思い出があります。トイレは、公園のトイレ、食事は自宅から持ってきた缶詰でしのぎ、余震が落ち着いた3日後、自宅に戻りました。もちろん自宅の中は滅茶苦茶でしたが、津波は家の前で止まったおかげで、浸水にはいたりませんでした。しかし余震のたびに家がきしみ、家の倒壊と津波の恐怖から夜もジャンバーを着用し何時でも逃げられる準備をしながら、毎晩寝付かれないまま朝を迎えたことが思い出されます。
震災発生当時は、電気・ガス・水道は遮断され使用できませんでしたので、代わりになるものを調達することを考えました。倉庫の中で埋もれていたバイクを引きずり出して、まずは水と食べ物の調達に出向きました。震災における非常事態のためか水や冷凍食品・処分製品を低価格で譲る店が多く、中にはお一人様3品まで無料配布するところまであり、物資が不足していても販売店の緊急協力体制のあり方に驚かされました。また、近くの飲食店においても、おむすびを半額で販売してくれた“おむすび屋”さんや、店先で低価格で弁当を販売していた“居酒屋”さんなど、本来なら自分たちも店を閉めて避難しなければいけない中、被災者のために食べ物を作りつづけていた方々がいたことにも感激でした。家に戻っても寒さが厳しいことから、私の朝の仕事は薪で火をおこすことから始まりました。火で冷たい食品を温め、お湯で味噌汁やスープを作り、残ったお湯は湯たんぽに入れて電気炬燵の中に・・・・・。私が職場行っている間は、妻が買い出しや供給水の受け取りなどを行いましたが、奥様方の助け合いの連絡網は素晴らしく、知らない奥様ともいろいろな情報交換ができ大変助かったとのことでした。自宅にいても家が余震ごとに音をたてて揺れることから倒壊の恐怖がいつもあり、近くの小学校に避難しようと思いました。しかし校舎内は地震による倒壊の恐れはないにしても避難状況はひどく、近所の知人と会っても“2日になっても中学校に行った息子が帰ってこない”とのお話しがあり、何とか元気ずけようと話をしていると、息子さんが遠くで手を振って帰ってきた光景をみて、一緒に泣いたことも思い出されます。
もう3年目!でもまだ3年目!復興、復興と言っておりますが解決していることは何一つないのでは?とも思いますが、やはり“希望”と“笑顔”だけは忘れないで、これからも生きていきたいと思います。


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