東日本大震災から今年で、もう2年が過ぎたんですね。

東日本大震災から今日でちょうど2年が経過しようとしております。早いもので、もうこんなに過ぎてしまったんですね。でも、あの震災の出来事は今でも鮮明に覚えており、忘れることができません。
 平成23年3月11日午後2時46分18秒に地震発生。約3分半にも及ぶ想像以上な揺れを事務所で感じ、その後も続く余震にどうしていいのかもわからず、ただ立ちすくんでいるだけ。地震訓練は経験して自分でも恥ずかしながら対処方法を熟知しているはずが・・・・・・。とんでもない。こんなに強くて長い地震は地球滅亡にも匹敵する怖さと不安が脳裏に駆け巡り、しばらくは放心状態と震えがおさまらなかった。外に避難後、やはり真っ先に行ったのが家族への連絡。しかし、携帯電話はつながらずメールも送信不能!余震の中、何度も何度も送るが通じることはなかった。とにかく、現場の帰宅指示に従い、交通通手段もなくなったことから自家用車に同僚を乗せ送迎後に自宅へと向かう。しかし・・・・・道路が渋滞で少しも動かない。それよりも帰宅者の数が半端ではない。歩道からあふれた避難者が車道まで来ている。だが信号機が点いていない中でも誰もが道を譲り合いながら、いつもの通り歩いている姿に安心感が少し出てくる。そんな中、なんとか自宅に早く帰ろうと、細い路地を見つけながらの運転。それでも余震は容赦無く発生し、道路にいろいろな物が落ちて来る。ここで建物が倒壊したら車とともに押しつぶされるかも、などの不安もあり車が進まないことに苛立ちを感じる。そして、突然の吹雪!なんであんなに晴れていたのにこんなに寒くなるの?そんな中、追い打ちをかけるような出来事を車のTVで見てしまう。仙台空港へ大津波が襲う映像。どこかの国の出来事?なにか映画?冗談じゃない.こんな津波がきたら、海から近くの自宅は・・・・・それよりも自宅にいる妻と卒業式の練習から帰っている娘は・・・・・。不安より絶望に近いものが脳裏を霞む。TVの内容は容赦無い!津波での遺体が300から400人を超えているとの報道。すべてが聞いたことがない報道内容で、ハンドルをただ握っている私には、心臓音だけが耳に響いき、血液が顔に流れ込んで来る圧迫感だけを感じていた。どれだけ時間が過ぎたんだろう。しばらくすると携帯のバイブが動き出す。そして一通のメール“大丈夫です”妻からのメール。一変に体の血が下がり安心感と震えがまた体を襲い・・・そして嬉しいのになぜか涙が止まらなかった。その後少しずつ電波がつながり、話が若干できたので、避難場所を確認。その後は安心感からか、どこをどう運転してきたか分からないが、夜の9時頃に待ち合わせ場所にやっと到着。妻や娘に会え、その夜は車の中で妻が持ってきた菓子パンを食べ、今までに見たことがない綺麗な星空を見ながら車の中で夜を明かした。
 それが2年前の今日なんですね。原発事故などもあって復興はあまりすすんでおりませんが、“希望”は捨てずに前向きに進んで行きたいと、自分に何度も何度も言い聞かせて今日まで生きてまいりました。これからもいろいろな困難があるかもしれませんが、同じ思いで進んでまいりたいと思います。誰がなんと言おうと“明るい希望”だけは捨てずに。


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